6.19.2012
6月15日 午後―Farewell a Teacher
午後。
午前の興奮冷めやらぬ職場を離れ、同任地の隊員が活動している学校へ向かう。
私立の小学校で2年間活動したコボリ嬢。
今日はそこで彼女のFarewell Party(=おわかれ会)。
わたくしの職種もウガンダ支部の中では希少種だが、
彼女は全支部的にみてもレアな「音楽隊員」である。
昼下がりから始まったパーティーでは、
子供たちが学年ごとに彼女に指導してもらった音楽の成果を披露。
彼女の伴奏に合わせ、生徒が合唱やピアニカの演奏をする。
「世界に一つだけの花」などの日本の曲を日本語で歌っちゃったりも。
本当にすごい。
泣けてくる。
はっぴを着て「ソーラン節」を踊る最高学年(7年生)
ホントにブラボーだよ。生徒もコボリ嬢も。
生徒たちがお礼にと、ウガンダダンスを披露。
これは西部のトロ族のダンス。
寮のあるこの学校は遠方や他国(スーダンとか)からの生徒も多い。
会場は普段は5年生と6年生が二つに分けて使っている広い教室をぶちぬいて使用。
でも全校生徒入りきらないので、
窓にも生徒が鈴鳴り。
学校配属というのは、比較的、
過酷な活動環境のひとつだと思う。
他の先生たちと同様に学校の中の家に住むことになるし、
彼女の学校のように生徒の寮もある場合は、授業がおわっても生徒がいるわけで。
そんな中ではプライバシーの確保は難しい。
そもそもこの国ではそんな価値観は薄いし。
学校に指導のための楽器が少ないことはもちろん(ピアニカとかは皆で共用)、
教育に対する価値観や熱意の違い、
音楽をはじめとする情操教育に対する理解の少なさ、
子供に対するケイン(体罰)の存在など、
物理的にも精神的にも、多くの壁があったことだろう。
何故か体育を教えていたこともあった。
腑に落ち無かったろうに。
それでも笑いながら。
嫌になったことも、私たちが思っている以上にあったはずだ。
そうして2年間過ごしてきて、今日だ。
教室に入りきらないほど多くの生徒と先生が集まっている。
彼女に送られる言葉の全てに愛がある。
次々とプレゼントが彼女に手渡される。
皆が彼女を「家族」と呼ぶ。
笑いながら、泣きながら、彼女が去ることを惜しんでいる。
パーティーが終わったのに、子供たちが団子になって彼女のあとをついてくる。
音楽の指導を通して彼女が伝えたものは大きいだろう。
でも、何が影響や成果かなどと問うのはこの場では野暮だ。
彼女と彼女が音楽を伝えた子供たち。
互いが別れを惜しむその関係が彼女の2年間を物語っていた。
本当にお疲れ様。