2日目。
昨日に引き続き案の定、
ぼろぼろと予定がキャンセルになってスケジュールの変更が続出のなか、
変更で生じた隙間時間を子供らが見逃すわけはなく、
これ幸いと遊具で遊びまくっている。
本日のWildlife Gameのお時間。
自分で全部やってもいい経験にはなるが、
折角これまで参加型の環境教育の方法についてワークショップ(WS)などをやって
現地ボランティアとかに指導してきたんだから、
一連の仕上げとして彼らに実践させてみようかと。
WSの中でも、考えたアクティビティをお互い実施しあう時間はとったものの、
正直なところ身内相手だと
内輪受けに終始してグダグダになっておわるだけ。
ちゃんと彼らがビジター相手に実践する機会を設けたいと思っていた。
希望者をチーム分けして企画させるなど2週間前から調整をはじめた。
しかし準備とか予定とかがウガンダ人は本当に(以下略)
・・・教訓。
いざという場合は全部自分でやる覚悟がないと彼らに仕事は頼めない。
まあ紆余曲折はあったものの、
基本的に現地ボランティアにゲームをやらせる方向で仕込んだ。
最初のチームによるゲームは
「捕食者と被食者」
生態系の大変スタンダードなテーマで、
基本的に肉食獣と草食獣2手に分かれて鬼ごっこ。
ただし、今回のはルールがちょっと複雑で。
捕食者はライオン、チータ、ハイエナと3種類。
→それぞれ狩りのパターンが違うのでそれを表現したいらしい。
チームライオンとチームTree(後述)の子たち。
緑のもさもさはライオンの鬣のつもりらしい。
ウガンダ人、コスチュームへのこだわり強いです。
被食者もウガンダコーブとかインパラとか色々。
→それぞれ逃げる戦略が違うのでそれを表現したい。
と、趣旨はいい。
でも。
それ全部まぜこぜで同時進行させるもんだから
何を表現したいのかわからず、わやな状況になる。
とはいっても、アクティブな動きを伴うものは、子供は無条件に楽しそうではある。
そんな中、かわいそうなのは「Tree」の役の子。
ただゲームフィールドの「境界を示す」ために立ってるだけ。
追っかけたり逃げたりしたいよな~子供だもん。
はじっこに立ちっぱなしだから説明もよく聞こえていないみたいだ。
次のチームによるゲームは
「サイは何故絶滅したか?」
今度は密猟者とサイの追いかけっこ、
だけど、シナリオが決まっているからロールプレーの要素のほうが強いか。
また役がいろいろあるわけだが、今回は木ならぬ
「国境」の役がある。
もちろん立っているだけ。
・・・その手のもの人間がこなすのがこの国の演劇では必須なんだろうか?
そしてゲームのスタートは、
密猟者がレンジャーに賄賂を払うところから始まる。
ディテールにこだわり、
本物さながらにコソコソやるもんだから遠目には何やってるかわからない。
流石に「ナレーションを入れたら?」と言ってみる。
・・・別に今回はじめて気が付いたわけではないが、
アクティビティを企画させたりしててつくづく感じたウガンダ人の特徴。
①単純化とか省略をしない(というより、できないのか?)
②ロールプレー大好き
③計画的に準備することができない
(直前に慌ててやればまだいい。本番がはじまってから「アレは?コレは?」と言い出すので、結果グダグダになる。リハーサルとかもやらない。)
④相手の反応をあまり気にしない
(・・・相手が理解してるかどうかを意識していない)
⑤自己評価が異様に高い
既存のプログラムとか、前にやった内容を参考にしないで常に自分らで1から作る。
というか、思い出そうにも覚えていない可能性が高い。
他の内容とのバランスなどは考えない。
で、どんなに失敗しても実施後はすべてが「Well done」で反省なし。
もちろん彼らの得意な面や嗜好を活かすのはいいことだ。
しかし、
完全にまかせておくと全部似たような傾向に走ると想像がついていたのと、
既存のものを1個ぐらいは自分でアレンジして使うこともしてほしかったので、
最後のしめのゲームは教えたやつの中から選んで、オーダーして
「ネーチャーループ」*をオーダーしてやってもらったた。
「こんなゲーム簡単すぎるから全然余裕でできる」
頼んだ時の彼らのコメントからは、シンプルなものをやや軽視している感があった。
でもやり方が単純でも扱っているテーマが複雑だからね。
生態系。
子供にそのつながりや大切さを伝えられますか?
色々教えたけど、ココも理解してもらえたらなあ、というポイントはまだまだ多い。
彼らの嗜好とは真逆だけれど、
「やり方が単純なものが方法として劣っているとは限らない」こともわかってほしい点のひとつだ。
ゲームを通して伝えたいことが伝わるかどうかが大事。
知識として知ってもらうだけじゃなく、「感じて」もらうことの大切さ。
一応、それそれの持つカードの動物や環境がひとつの輪になったけど、
それぞれの関係をつなぐ進行にはだいぶフォローを入れた。
教えることよりも伝えることは難しい。
「楽しかった」を超えて、子供にも実施者であるボランティアにも何かが伝わったんだろうか。
確かめようがないけれど、いつも自問することになる。
つづく