10.26.2012

10月21日 Nyero Rockの壁画

Mbaleから2時間ほど北上したところにある小さな町、Kumiへ。

ここに今回の旅のメイン「Nyero Rock Paint」がある。

アフリカといえば人類発祥の地でGreat Journey でと、人類学や考古学的にも興味深い(もちろん詳しくはないけど・・・)い土地。
高校の世界史の図説解説に載っていた「ラスコーの壁画」などにときめいた身としては、「ウガンダ古代の壁画」などと聞けば行くしかないでしょう。

ここの壁画の図案がウガンダナショナルミュージアムのシンボルに使われていたり、
1000シル札にプリントされていたり、とウガンダ的にはそれなりに有名。
が、そんなに大量に観光客が来るような場所でもない。
それがまたいい。

 Kumi在住の隊員がガイドさんの手配などをしてくれた。
(その辺に住んでいる農家のおっちゃんとかが兼業)
ガイドさんに従って3つのサイトに分かれている壁画を順番に見ていく。

第一のサイト
太陽やクロコダイル、はしご、などが描かれている。
ガイドさんの頭上左側の円は太陽で
指さしている長いミトコンドリアみたいのがクロコダイル、とか。

・・・絵柄的には、よく言うと抽象画。
ラスコーとは路線が違う、ということにしておこうか。うん。

ガイドさんのお話と解説版を私の足りない英語力で大ざっぱに解釈したところによると。
壁画は1000から3000年前にこの辺にいたトゥワ族が描いた、
と言い伝えられている。
単純な自然崇拝が主であった当時、太陽は神様。クロコダイルは命を奪う畏怖の対象。
はしごは木の実を取る時の必需品。

ペイントはラテックスなどの成分を含む粘性の高い植物の樹液を使って描かれている。
それにしてもよく1000年の時を経て残ったものだ。

この壁画を見つけたのは、数百年前に
エチオピアからウガンダ北東部のカラモジャ地方を経由してこの地に入ってきたテソ族の祖先。
テソ族の祖先がここに定住することを決めた一方で、ここに留まらず更に先へ進みケニア方面へ移動していった人々もいる。
テソ族は現在もこの辺りの主要な部族だ。
もちろんガイドのおっちゃんもテソの人。
テソ(Teso)とはgrave=墓=死んだ人、という意味。
ここに留まったことによって、先へ移動した人々からは「死んじゃった」とみなされたらしい。

「でも俺たち今もちゃんと生きてるけどね」


お次、第二のサイト

大きな石壁一面に太陽や船が描かれている。
こちらの絵はみんな赤い。樹液に動物の血を混ぜたらしい。

カヌーと太陽。
「上手な魚の獲り方」の解説図。
湿地の多いこの辺りでは漁業も主な生活手段だったのだろう。

こちらはペタペタと指の跡が。
数のカウント方法を示してある、とか。

ここまで見た感想。
・・・壁画=アート、というよりも、
とりあえず溢れる生活感。

旅や狩猟への祈りや願いが込められている、と「遺跡らしい」説明を受けたが、
この書きっぷりは黒板のようにも見える。
案外必要な情報伝達(説明)のための走り描きのようなものだったんじゃないか、とも思えてくる。
(でも結局、半分以上消えちゃってるからわかんないんだけど・・・)


Nyero Rock外観
Kumiやその北のSoroty周辺にはこんな感じの巨岩の丘がたくさんある。

壁画があってもなくても、巨岩の山は地元の子供たちにとっては遊び場。
外国人が珍しいから、もれなく子供が大声で呼びかけてくる(さて写真のどこにいるでしょう?)。

狩猟採集時代、これらの巨岩やここにあったであろう森の巨木の洞が住居として使われていたと考えられている。
樹液で描かれたから今は風化してしまっただけで、もしかしたら壁画は当時はもっとたくさんあったのかもしれない。
そう考えると、ちょっと楽しい。


で、最後の第3サイトは別の岩にある。
ここのペイントちょっと趣が異なっていた。

大人が四つん這いにならないと入れないようなせまい空間。
そこの天井にたったひとつだけ、文様が描かれていた。


彼らにとって神様であった太陽と月との両方がこの文様にデザインされている、とのこと。
それと説明を聞くまでもなく、祈りの場とその対象であったことを思わせる何かがあった。

現代を生きる我々の感覚でもそう感じるのだから
これを描いたトゥワ人の祖先だけでなく、
見つけたテソ人の祖先も、ここで同じように何かを祈ったかもしれない。


描かれた当時の意図を正確に知る術はないけれども、
当時の人が情報であれ祈りであれ、真剣に何かを伝えようとした感覚を、
壁画は今に伝えるべくして残っているように思えた。



・・・外国人が珍しいからもれなく子供がついてくる。
彼らも遠い昔の人々が描いた絵から何を感じているんだろうか?