12.15.2012

任国外:エチオピア③ ツーリズム編


エチオピア北部へいけばいくほど乾燥してきて


緑が乏しくなり
(というより東アフリカ的にはウガンダの緑ふさふさっぷりが凄いことを改めて認識)


雄大な、でも荒涼とした、景色がひろがる。


・・・岩窟教会とか作って修行しちゃいたくなる気持ちがわからなくもない。


さて、
教会も旅行者を受け入れるとなるとぶっちゃけ商売。

サングラスで目を保護しながらフラッシュ撮影に対応する司祭
(珍しいけどねフラッシュ撮影OKって)

他のところでも古い聖書を見せてくれたり、クロスを手に正装でポージングしてくれるたりと、司祭さま方、いろいろ(教会のために)頑張ってくれる。
ご苦労様です。

サービスしてもらったら、「チップ」を払う。
のは、当然としても。

ちょっとマイナーなところでサービスを受けたりしたときはけっこうチップ要求が露骨だったりもして辟易した。

案内を受けている間、ひたすらチップチップと言い続けたり
あげた額が少ないと露骨に嫌な顔をして舌打ちされたり
下手すると金額指定で入場料と同じ額のチップを要求されたり、と。

チップ慣れしていない私としては、満足して
「チップはずまなくちゃ♪」と思っている矢先にコレをされると
言われた瞬間に財布の紐がフリーズ。

とくに聖職者にやられるともう残念な感じ倍増。

理不尽なチップ要求には遠慮なくブチ切れつつも考えるに、
ツーリズムで得た利益を分配する仕組みとか、仕事としての意識が発展途上なんだろうな、と。
特に、メジャーではない観光地では、ツーリストと接する頻度が中途半端なだけに、その傾向が強くなるんじゃないかと。


例えば、ロッククライミングばりのアクセスで有名な教会に行ったときの場合、
ガイド以外に、鍵を開けてくれる司祭やら、クライミングのアシスタントやら、えらく人を介す。
こんなとこ登る↑

苦労してたどりついた先の教会の壁画&天井画は大変すばらしい。

のに、
入場料はというと150ブル(=10ドルにも満たない)。
全てをコーディネートしているはずのドライバーは我々の支払った札束を持っているが、そこからの支払いはガイドに対してのみ(この額もたかが知れている)。

そしてお客は毎日来るわけでもない。Maxでも1日20人ぐらい。
この仕組みでは分配するほど利益は出ないだろう。
取れるときに取れるところからもらおうって発想にもなる。

でもツーリズムとして確立していくなら、提供するサービスに見合う額は料金としてとったほうがいいように思える。
そのほうが気持ちよく払えるし、本来の感謝の意味でチップも出せる。
「チップに頼ればいい」という発想がまかり通るようになってしまったのは、恐らく西側の人々が習慣として躊躇なく出してきたからだよな(確かにドル換算するとたいした額ではない)。

ついでに。
このエリア、他にも岩窟教会が点在しているわけだが、すごい教会もしょぼい(はっきり言って)教会もどこ行っても一律150ブル。
同じ料金払っても、当たり外れが激しいこと。
ラリベラの周遊券みたいに一括である程度の料金払った中で、色々織り交ぜてみるなら不満も出にくいが、教会がしょぼい上にガイドとしてカタコトの英語しか話せない子供を連れてきたりされた日には全く納得できない。

「ラリベラがやっているみたいに同じエリアで周遊券にしたら?」
とガイドに聞いてみたところ
「エリアが広くてそれぞれ属するコミュニティが違うからそれぞれに支払う必要がある。でも料金は一律で平等じゃないと不満が出る」

・・・一緒なのか一緒じゃないのか、どっちなんだよ。

外からのツーリストのかかわりが現地の人の価値観を変えていく。
それがかならずしもいいとは限らない。

「ここはこういうやり方」とある程度受け入れるのも異文化を訪れる側のマナー。

とはいえ、
その価値観違う外国人相手に商売するならマーケティングも必要ではないかと。


活動を通しても思ったことだけれど、いろんな面において、
いつまでも「でもアフリカだから」ってばかり思っていちゃだめだ。お互いに。

ウガンダのエコツーのケースも含め、なんかイマイチに感じるの、根本的な問題はそこにある気がする。


今回、暖かいもてなしを受けたのは、地方の小さな町のホテルや食堂。
皮肉なことに、観光にあまりがつがつしていないところのほうがホスピタリティに溢れていた。
車窓から見える小麦畑で働く人々の姿は、質素だけどとても美しくて癒された。

トラブルもあったけど、
それ以上に、現地のいい人や、
一緒に行った人たちに、たくさん助けられた。感謝している。



蛇足。

アクセスがハードな岩窟教会の中には

こんな崖を紐1本をたよりに登る場所もある。
(聖人がヘビをどうこうした、という逸話に基づいているらしい。革紐をヘビに見立てている様子)

下まで行ってぽかんと口を開けていたら
上からおっちゃんが「Come!」とか言ってさらに紐を下してくれた。
しかし、
この紐に命を託すのは不安きわまりない。

ついでに登ったところで教会自体は女人禁制ってこともあり、結局登らなかった。

安全管理とかツッコみだすと本当にきりがない。笑っちゃう。


でも(さっきいった事と矛盾するかもしれないけれど)、
アフリカの、このラフさを残している面は決して嫌いじゃない。