12.31.2012

12月31日 活動大晦日


帰国に絡む報告会やら公用行事やらが終わり、
あとは任地で
クリスマスと新年のイベントや動物とのふれあいをのんびり楽しんで帰国

なんてことは当然ないわけで。

最後のミッション、
インフォメーションセンターの展示更新に追われ続けて早大晦日。

お約束通りな感じだ。


ひと月前、それこそ旅行に行く前に段取りをして担当のアイザックに引き継いでいったにもかかわらず(ていうかお前の仕事だ本来)
旅行から帰って来てみたら
プリンターは調子がおかしくなったまま放置されているし、
修理に出していたラミネーターは戻ってきていないし、
業者に発注している特大パネルは未納品。


・・・おい。

クリーニングでなんとかプリンターを復活させ印刷を出し、
報告会の合間などに弊社事務所のラミネーターをフル活用し、簡易パネル類を作成。

手があいているボランティアが手伝ってくれて設置を終えた。有難い。


入口のボードの写真コラージュ。
ジェームズ君が頼んでいたWelcomeメッセージのことをすっかり忘れている様子なので、スタッフが働いているところの写真をペタペタ貼って埋め合わせてみる。


パネルはシンプル。
でもテーマごとにゾーニングをしっかりした。

で、ブック型の資料とか

タッチする羽標本とか、
ちょっと「ハンズオン」なものを置いてみた。

最も、
骨とか標本とかは皆ばんばん触りまくるのでわざわざ作んなくてもある意味全部ハンズオンだから今更いらない気もするけれど。

ということで、
あとはもう本日、特大パネルを待つだけだった。


そして。


朝からの再三のアイザックの催促コールの甲斐があり、ついにパネルが届いた。

夕方5時過ぎに。



・・・定時後に届くって何かの嫌がらせだろうか。



しかも今日は大晦日で、
明後日にはここを離れることもあって、
何人かがビールでも飲みに行こうと誘ってくれている。
でも明日がイベントだから今日中に設置したい。
さっさとやろう。

と、パネルの包装を解く。


これ、私がデザインしたはずなのに
・・・なんとなく違和感。

写真のレイアウトがちょっと変更されている・・・気が。

「指定したサイズより長くないかコレ?」
どうやらアイザックの発注ミスで、予定より長いデザインになって帰ってきた様子。
(印刷会社がデザインしなおしたらしい)

おまえなあああ!

本当に今回ばかりはちゃぶ台ひっくりかえしたい。
だって、あとがないし。

この長さでは掲示ボードにおさまらないし、上下に長すぎて読みにくい。
壁に直に設置するにしても、適したネジがない。

「しょうがない、明日設置しよう」
とアイザック。

ウガンダペースにあわせて、いつもならそれでもよかったんだけど

今回ばかりははあとがない。引けない。


大体にして絶対明日はやれないだろう。イベント当日で忙しい。

「仮止めでもいい。
今日設置して帰る。いいよね?」

これが最後だ。
絶対やれるところまでは終わらせる。

表だって切れないまでも一歩もひかない私の姿勢にびびったのと
一応責任は感じていることもあって、アイザックが同意し、設置作業を開始。


まずパネルは真ん中で切る。
サイズ調整。

壁に直接固定するための釘がなくて、アイザックが買いに走っている間、1時間ぐらい作業を中断して待つことになった。

もう外は薄暗いのに、休日モードのビジターがけっこう途切れなくやってきて作業中のインフォメーションセンターに入ってくる。

そして

設置したパネルを読んだり、羽に触ったりもしてくれている。

ちゃんと見てもらえている。嬉しい。

ここまでやってよかった。

明日も間違いなくたくさんの人が来る。
やっぱり最後に妥協しなくてよかった。

アイザックが帰ってきて、設置作業を再開。
終了したときは8時をまわっていた。

しかし、印刷会社の方も、
デザインいじるならいじるでもう少しやりようはなかったのだろうか。
全てのパーツの中で地図の凡例が一番巨大ってのはどうよ。

最後まで、つっこみどころには不自由しなかったなあ。


真っ暗になった園内を歩いて家に帰る2012年大晦日。
活動も大晦日。

明日が最後。
明後日にはここを出ていく。


追い込まれて作業を急いだのは、もう終わりだからなのに。
全くここを去る実感がない。

12.18.2012

12月18日 Rhino Paper Workshop for Keepers


旅行にでかける前から飼育課長オピオに
「飼育員に対してもサイフンぺーパー作りのワークショップをやってほしい」
とリクエストを受けていた。

ちょっと、きましたよ。
いい流れですよコレ。でも。

正直なところ、まあ忘れるか他の用事が入って流れる可能性が高いと話半分に聞いておいた。

でもエチオピアから帰ってきたら、ちゃんと忘れず日程を空けて待っていた。
嬉しかった。

ではこちらもしっかりご要望にお応えしましょう、ということで
最後の「Rhino Paper Workshop」を実施した。
Rhino paper makingについてはこちら参照


今回はパワーポイントで説明を作って説明のあと、各自1枚の紙を漉いてもらった。
やはりサイフン処理のプロセスには説明だけなんだけど関心が集まる。

こっちも進行慣れした、と言うのも大きいけれど、
普段から作業をこなしているせいか、教育セクションに教えたときよりも飼育員のほうが段取り、要領がいいし、熱心。

熱心さは、目的意識の高さのあらわれだと思う。
オピオやカヨンドは、このプログラムを7月のRhinoキャンプで実施した(こちら参照→)際に見ている。
それで自分でも実際、やりかたを覚えたいと思ってくれていたようだ。

すぐ要領を得てお互いの作業を補助しあう。

ここは日本以上に縦割りで、セクションで役割がきっちり分かれている。
飼育員を教育プログラムの実施にいかに巻き込むかっていうのが、長いこと懸案になっている。
協力してプログラムを実施することはあるけれど、大体はコミュニケーション不足で教育セクション側から一方的に通達する。
圧倒的に動物に関する知識のある飼育員側からすれば、正直面白くないことも多い様子。
不信感も根強い。

けれど、れまで関わった前任者、専門家の指導の積み重ねの中でも少しずつ変わりつつあるのも感じる。
この部分は何処かひとりの力ではなく、様々なアプローチの積み重ねの成果だと思っている。

そして、飼育員は教育プログラムに興味がないわけじゃない。
バックグラウンドの問題だけではなく、
積極的に関わりたいと思えるプログラムの選択肢が少なかっただけなのかもしれない。
そんな中で、サイフンペーパー作りがちょっと飼育員らの興味に響いたのであれば、双方が具体的に歩み寄るちょっとしたきっかけになってくれたら嬉しい。

道具は全部置いていく。
処理して乾燥させたサイフン繊維もまだたっぷりある。
Rhinoキャンプも毎年ある。

だからあとは、彼らがやるだけ。

12.15.2012

任国外:エチオピア③ ツーリズム編


エチオピア北部へいけばいくほど乾燥してきて


緑が乏しくなり
(というより東アフリカ的にはウガンダの緑ふさふさっぷりが凄いことを改めて認識)


雄大な、でも荒涼とした、景色がひろがる。


・・・岩窟教会とか作って修行しちゃいたくなる気持ちがわからなくもない。


さて、
教会も旅行者を受け入れるとなるとぶっちゃけ商売。

サングラスで目を保護しながらフラッシュ撮影に対応する司祭
(珍しいけどねフラッシュ撮影OKって)

他のところでも古い聖書を見せてくれたり、クロスを手に正装でポージングしてくれるたりと、司祭さま方、いろいろ(教会のために)頑張ってくれる。
ご苦労様です。

サービスしてもらったら、「チップ」を払う。
のは、当然としても。

ちょっとマイナーなところでサービスを受けたりしたときはけっこうチップ要求が露骨だったりもして辟易した。

案内を受けている間、ひたすらチップチップと言い続けたり
あげた額が少ないと露骨に嫌な顔をして舌打ちされたり
下手すると金額指定で入場料と同じ額のチップを要求されたり、と。

チップ慣れしていない私としては、満足して
「チップはずまなくちゃ♪」と思っている矢先にコレをされると
言われた瞬間に財布の紐がフリーズ。

とくに聖職者にやられるともう残念な感じ倍増。

理不尽なチップ要求には遠慮なくブチ切れつつも考えるに、
ツーリズムで得た利益を分配する仕組みとか、仕事としての意識が発展途上なんだろうな、と。
特に、メジャーではない観光地では、ツーリストと接する頻度が中途半端なだけに、その傾向が強くなるんじゃないかと。


例えば、ロッククライミングばりのアクセスで有名な教会に行ったときの場合、
ガイド以外に、鍵を開けてくれる司祭やら、クライミングのアシスタントやら、えらく人を介す。
こんなとこ登る↑

苦労してたどりついた先の教会の壁画&天井画は大変すばらしい。

のに、
入場料はというと150ブル(=10ドルにも満たない)。
全てをコーディネートしているはずのドライバーは我々の支払った札束を持っているが、そこからの支払いはガイドに対してのみ(この額もたかが知れている)。

そしてお客は毎日来るわけでもない。Maxでも1日20人ぐらい。
この仕組みでは分配するほど利益は出ないだろう。
取れるときに取れるところからもらおうって発想にもなる。

でもツーリズムとして確立していくなら、提供するサービスに見合う額は料金としてとったほうがいいように思える。
そのほうが気持ちよく払えるし、本来の感謝の意味でチップも出せる。
「チップに頼ればいい」という発想がまかり通るようになってしまったのは、恐らく西側の人々が習慣として躊躇なく出してきたからだよな(確かにドル換算するとたいした額ではない)。

ついでに。
このエリア、他にも岩窟教会が点在しているわけだが、すごい教会もしょぼい(はっきり言って)教会もどこ行っても一律150ブル。
同じ料金払っても、当たり外れが激しいこと。
ラリベラの周遊券みたいに一括である程度の料金払った中で、色々織り交ぜてみるなら不満も出にくいが、教会がしょぼい上にガイドとしてカタコトの英語しか話せない子供を連れてきたりされた日には全く納得できない。

「ラリベラがやっているみたいに同じエリアで周遊券にしたら?」
とガイドに聞いてみたところ
「エリアが広くてそれぞれ属するコミュニティが違うからそれぞれに支払う必要がある。でも料金は一律で平等じゃないと不満が出る」

・・・一緒なのか一緒じゃないのか、どっちなんだよ。

外からのツーリストのかかわりが現地の人の価値観を変えていく。
それがかならずしもいいとは限らない。

「ここはこういうやり方」とある程度受け入れるのも異文化を訪れる側のマナー。

とはいえ、
その価値観違う外国人相手に商売するならマーケティングも必要ではないかと。


活動を通しても思ったことだけれど、いろんな面において、
いつまでも「でもアフリカだから」ってばかり思っていちゃだめだ。お互いに。

ウガンダのエコツーのケースも含め、なんかイマイチに感じるの、根本的な問題はそこにある気がする。


今回、暖かいもてなしを受けたのは、地方の小さな町のホテルや食堂。
皮肉なことに、観光にあまりがつがつしていないところのほうがホスピタリティに溢れていた。
車窓から見える小麦畑で働く人々の姿は、質素だけどとても美しくて癒された。

トラブルもあったけど、
それ以上に、現地のいい人や、
一緒に行った人たちに、たくさん助けられた。感謝している。



蛇足。

アクセスがハードな岩窟教会の中には

こんな崖を紐1本をたよりに登る場所もある。
(聖人がヘビをどうこうした、という逸話に基づいているらしい。革紐をヘビに見立てている様子)

下まで行ってぽかんと口を開けていたら
上からおっちゃんが「Come!」とか言ってさらに紐を下してくれた。
しかし、
この紐に命を託すのは不安きわまりない。

ついでに登ったところで教会自体は女人禁制ってこともあり、結局登らなかった。

安全管理とかツッコみだすと本当にきりがない。笑っちゃう。


でも(さっきいった事と矛盾するかもしれないけれど)、
アフリカの、このラフさを残している面は決して嫌いじゃない。

12.14.2012

任国外:エチオピア② 教会編


エチオピア北部はエチオピア聖教の由緒ある教会が有名。
今回の旅のメインも教会巡り。

ゴンダールはダブラ・ブラハン・セラシエ教会の
教会の天井いっぱいに描かれた顔だけ天使。
微妙に視線が皆違う方向を見ているのは「神はあらゆる方向を見ておられる」ということらしい。
・・・守られているというよりも見張られているような気分になるのは自分に信仰がないせいだろうか。

この天使に限らず、エチオピアのフレスコ画に描かれている聖人は、肌が黒くて目がぱっちり、つまりアフリカ人の特徴を持っているのが面白い。


最大の目的地は、巨大な岩盤を彫りぬいた教会群で有名なラリベラ。
世界遺産。

には、


保護のため屋根がかけられている

仕方ないけど、ちと殺風景。


こちら、まだ屋根に覆われていない聖ゲルギオス教会。
上から見ると十字の形をしている。
青空の下、美しい。

ここも将来的には透明な屋根で展望地を含めて覆う構想があるらしい。
(やめとけば?といいたいところだけれど保護もせんといかんし・・・)


12世紀にラリベラ王が一大事業として建設したこの教会群は、信仰の場として今日も普通に使われている。
岩盤から直接彫りぬかれた高さ10m以上の柱が圧巻。
聖救世主教会。

ちょうど月に一度の「ゴールドクロス」を使った礼拝の日だったということもあり、特にたくさんの人が礼拝に訪れていた。
ゴールドクロスを手に礼拝を行う司祭たち。
(暗いのでゴールドっぷりがイマイチわかりにくい)

・・・ここのゴールドクロスは一度盗まれ、無事帰って(買い戻されて)来たらしい。
エチオピア教会のクロスはいわゆるシンプルな十字架ではなく、それぞれの教会でそれぞれのオリジナルデザインがあり興味深い。
(=つまり、もし盗まれてもどこかに行っても、もともとどこのものか見る人が見ればわかる)

教会に入る前に、人々は靴を脱ぎ、跪いて教会そのものに口づけをする。
我々を案内してくれているガイドも、まず入る前にそれをする。
強い信仰がしっかりと根付いているのを感じる。
ちょっとチベット仏教とか密教とかに通じるような厳粛な雰囲気がある。

ウガンダ人も敬虔なクリスチャンが多いけれど、祈りの途中で泣いたり、叫んだり、歌ったり、笑ったりと全身と全力で祈りを表す。
それとは違う、静かな祈り。


何にせよ、
12もの教会を(規模の大小やデザインの濃淡はあるにせよ)岩から彫りぬいた技術にはただただ驚嘆。

「この教会群は、何人ぐらいの大工がどれくらの年月をかけて作ったんだろう」

とガイドに質問したところ。

「人じゃない。天使が作った。」

「・・・ラリベラ王の事業だって言ったよね、さっき」
「そう。でも作ったのは天使」

言い切られる。

博物館には当時、設計の為に作ったと考えられている教会のミニチュア模型があった。
アレは天使との打ち合わせに使ったんだろうか。


今回の旅行で、建設の技術に驚嘆した場所がもうひとつある。
古代エチオピア時代の神殿である「イェハ遺跡」。
あとから十字架をぶちぬいてキリスト教の礼拝所としても使われるようになったこの神殿。
直角に切り出されたブロックが隙間なく垂直に積み上げられている。
紀元8世紀ごろの建築物だとは思えない精密さ。


・・・今は、どこ行っちゃったんだろう。
古代エチオピア人とか「天使」とかの技術。

12.12.2012

任国外:エチオピア① たべもの編


そろそろ帰国も近いのでちょっと番外編。
最後のお休みを利用して、11月末~12月上旬、エチオピアを旅行してきた。

同じアフリカでも、他の国と比べてみるとウガンダらしさがよくわかる面もあり。
今回は特に、東アフリカのなかでも独自の文化の色合いが濃いエチオピアなので色々と興味深かった。

まず食べ物が圧倒的に違うので面白い。


街角で飲む
しましまフルーツジュース「チマキ」
ジュースと言うより果物のペースト。飲むんじゃなくて食べる。
しましまの色ごとにイチゴ、オレンジ、バナナ・・・
そしてアボカド!ジュースに?と思いきや
アボカドが生クリームのような絶妙な良い仕事をしている。
安いしビタミンとれるしお腹もふくれるので貧乏旅行には有難い存在。
(砂糖がおそらくハンパなく入っているからカロリーも高い)

フルーツは東アフリカ中にあるのに、なぜこのジュースがエチオピア限定なのか不思議。
どこでも作れそう。
でも基本的におおざっぱなウガンダ人にはこのジュースを彩美しくしましまに盛るのが無理かもなあ・・・。


エチオピアといえばコーヒー発祥の地。
やっぱりコーヒーが美味しい。
日本の茶道のような「コーヒーセレモニー」という様式がある。
空港やちょっとしたレストランでも、この伝統的な形式でコーヒーを淹れて見せているところが多い。
でもやはり一番「おお」と思ったのは、ちゃんとおもてなしとして出して頂いたコーヒー。
炒りたてのマメを丁寧に煮出した濃いコーヒーを、飲茶の茶器のような小さな器で頂く。コーヒーは大変濃いので砂糖を淹れて丁度良い。
味もさることながら、淹れている女性の所作が本当に美しい。
ひょんなことで立ち寄ってコーヒーを淹れてくれた民家のおばあちゃん。
普段着で応対してくれていても気品がある。

余談ながらエチオピアの女性、「世界で一番美しい」と評されることがあるだけあり、本当に整った顔立ちの人が多い。

丁寧な淹れ方、何より美味しい豆を生産できるっていうことは、基本的に勤勉なのかもしれない。
ウガンダのコーヒー豆、本当に残念な感じのが多いんだよなあ・・・
(お茶のほうがメジャーってのもあるだろうけど)


で、エチオピアを代表する食べ物、と言えばコレ、
インジェラ。
発酵した生地を焼き置き(→更に発酵)してあるエチオピアの主食。
その酸味と地味な色合い、薄いスポンジ的質感から
嫌いな人からは「雑巾」と酷評されることもある不思議な食べ物。

わたくしの人生初インジェラ、よりによって民家におじゃましての「どローカル仕様」で頂く。

特大の皿と同じ大きさのインジェラをみなでちぎって、真ん中のシチュー(ワット)を付けて食べる。
インジェラだめな人用か、パンも一緒に供された。

・・・意外と平気。おいしい。
フツーに食べられる。
発酵食品万歳。

ウガンダ人がもれなくバナナを活用するように
エチオピア人のインジェラへ活用術はハンパなく

インジェラでビールも作るし(これも飲んだ。すっぱい)
おやつににパリッパリに焼いたインジェラをかじることも(かじった。不思議な味)

そしてインジェラ極めつけは
インジェラ(プレーン)の中に


またインジェラ(ソースと絡めてある)。

恐るべしインジェラ愛。

バナナをこよなく愛するウガンダ人でも
ウガンダ人でもフツーはカトゴ*をおかずにマトケを食べたりはしない。

このインジェラへのこだわりからは、何かエチオピア人の頑固さというか、ある種の主張のようなものを感じざるをえない。


---
*カトゴ=「肉じゃが」のじゃがを青バナナにしたようなウガンダの煮込み。
     味付けはロイコ(=ウガンダ人がこよなく愛する固形スープ)とトマトであることが多い。
     稀にジーナッツソース味が存在するらしいがわたくしはとうとう遭遇せず。残念。

11.28.2012

11月28日 教材を見せてみる

今年も日本からの専門家の派遣に伴い、
そちらの事業の予算で日本で「教材=education material」を作成して持ってきていただけることになった。

今回作成する予定の教材のテーマはハシビロコウに関するもの。

具体的な中身について、こっちのスタッフが日本に派遣されている時に打ち合わせをしてくる手筈が、今年はべリンダとニコラスが行ったときにその時間が忙しくてとれなかった様子で、まず昨年と同じタイプのものでいいかと先方から提案が送られてきた。

僭越ながら「待った」をかける。

現場にいるものとして「え?」という空気を感じ取ったもので。
昨年リクエストしたからといって、今回も同じタイプのものがほしいとは限らない。
テーマや使用状況により、必要な教材は変わってくるのも当然な話。

では、どんな教材がほしいのかリクエストのためのアイディア出しミーティングを仕込んでみた。

ちょうど最近、新たなハシビロコウ生息地近くのコミュニティとの絡みが出てきたこともあり、コミュニティや学校での普及啓発の機会は増えると思われるところ。

大人数相手に「ハシビロコウはこんな鳥」とか、
「この鳥を保護するメリット」とかを説明できる“material”がほしい、という話になる。

が、問題はそこから先。
ではポスターやパンフレットを予算の限り作ってもらおう!
という案に落ち着きそうになる。

僭越ながらこちらにも待ったをかける。

「教材」=materialのニュアンス、
意図するところが日本人とウガンダ人とではけっこう異なる。
この、教材に対するとらえ方の違いには2年間なかなか越えられない壁を感じてきた。
手作り教材がなかなか普及させられなかった理由の一つもコレだと思っている。

あげるのもらうの大好き、の、こちらでは、
教材と言うとかなりバラ捲き用の配布物に発想が偏る。
つまり、モノでつって聞かせる作戦。
でも日本側がイメージするのは普及啓発を実施する時に説明に繰り返し使ってもらえる「小道具」。
教材というのはあくまでどんな状況でどう使うか、という点とセットなので、道具なしで様々な活動をしてきている彼らには発想するスイッチが入りにくいんじゃないかとも思う。

で、配布物以外のアイディアが出ないし、
わたくしがちらっと日本の教材の例を説明してもピンとこないみたいなので、

本日、最終兵器とともに出直した。

とりあえず有無をいわさず、
日本から持ってきて秘蔵していた
「タンチョウ普及啓発教材」を見せる。

タンチョウ実寸大パズルとか

タンチョウの卵実物大(コレ、色白いとベストなんだけど・・・)

からの

ヒナ(生後10日)実物大ぬいぐるみ誕生
(どちらも「日本野鳥の会」発行のもの。)

見せてやらせたら、
おおおおお!こういうことか!
という目の輝き。
100聞は一見にしかず、です。

「ハシビロコウは連れていけないから、実物の姿や大きさがわかるのはいいなあ」
「パペットは見たことあるけど、ウガンダでは作れないからほしいなあ」
とか、少し具体的な意見が出てきた。

それらをまとめて
ハシビロコウのパペットをリクエストしてみることになった。
実現するかどうかは先方の予算次第だ。
でも
あの嘴を実物大で表現できてパクパクさせられたらかなりインパクトがあるだろう。
個人的にもほしいな~・・・。

「あ、比較のためにハゲコウのパペットもリクエストしよう」
・・・それは教材としてはいいけど、さぞかしかわいくないことだろう。


でも、もっと早くこういった教材を見せていれば・・・


とは、思わない。

教材作成について真剣に考えている今がそのタイミングだと思ったから見せた、
それだけのこと。

2年間のんびりやってきて、のんびりし過ぎた時もあったかもしれない。
でもその中で、タイミングによって提案やアイディアへの反応が違うことをずいぶん見てきた。
活動期間も残り少なくなった今、
本当にいろんなことが遠慮なく話し合えるようになって、色々な仕事が急速に動くようになってきた。
多くのものは残せないけど、これでよかったんだと思う。

正直もうちょっと時間があれば、と、思わなくもない。

11.19.2012

11月13日 カメレオン始めます


大量のカメレオン


と、毒ヘビがやってきた。
(治療されたカメレオンたちがとりあえずダンボールに仮収容の図)

当センターにとって動物が急に増えるのは、野生動物保護という側面では大体喜ばしくない理由によることが多い。

今回は空港での差し押さえ。
木箱に白い袋に小分けにされたヘビががみちみちに入れられていたところを、UWAが発見、御用にした。
さらにその下に超みちみにカメレオンが詰め込まれているのがわかったのはここに来てからの話。

アフリカ内でもエンテベ空港の荷物チェックはどうも甘いらしく、「裏業界」に付け入る隙を与えているようで。
(ウガンダから日本への麻薬持ち込み事件は記憶に新しいところ。弊社からはそれ以降、隊員が巻き込まれないように常に注意喚起が行われている。)

野生動物の密輸も(生死を問わず)例外ではないようで。


で、治療や取材が落ち着いたところを見計らい、救出された爬虫類たちを動物病院に見せてもらいに来た。

ヘビのほうは1匹ずつ袋に入れられて安静にさせてあった。
開けてまでは見ないよ。
だって全部毒ヘビだっていうし。
(でもいるんだよねペットに飼うって人・・・)
危ないあぶない。

とにかくカメレオンBoxに目を奪われる。

いろんな種類が混じっている。
みんな思い思いに葉っぱとか枝とかダンボールに擬態している。
正確には見分けられないけれど、4種類以上はいそうだ。

2本角の種類。かっこいいね君。


こちら3つ角。トリケラトプスみたいだ。


色鮮やかなこちらは・・・お腹がふっくらしているので妊婦か?
動きも人一倍おっくうそう。安産を祈りましょう。


カメレオンはとにかく動きがゆっくりしていてユーモラス。
何しろ92匹ものカメレオンが入っているので、
移動が大変そう。お互いの手や背をつかんだりしながらのらりくらりと移動している。

生きた昆虫(ハエなど)を食べるのでその手間はあるけれど、ペットとして人気が出るのもうなずける。

いや~・・・めんこい。
癒され度がリクガメといい勝負。

ポッケに入れて持って帰りたい衝動を抑えるのが大変だ。
せめて元気そうなやつを手に取って戯れる心ゆくまでじっくり観察する。


でも、能天気モードから現実に話しを戻すと。
このダンボールの脇には選り分けらえた遺骸があった。
もちろん後で埋葬する。
(白い袋はヘビね、そっちは生きてますよ)

木箱に詰め込まれていたカメレオンは全部で147匹で、そのうち55匹がダメだったそうだ。
今アフリカを出る前でこれだったんだから、
輸出先に着いた頃には何匹が死んでいたんだろうか、と思ってしまう。


夕方には爬虫類館の一角がカメレオン展示コーナーに早変わりし、そこに放たれた。


・・・広くて探すのに一苦労


かと思いきや、

さすがに92匹もいるとすぐに1匹2匹は見つかる。探すの意外と楽しい。

但し、

いるとわかっていればだけど。
(何しろ相手は擬態します。しかも命をかけた真剣勝負)

ラミネーターが修理から戻ってきたら看板作ろう・・・。
(かれこれ3か月修理待ちであてにならんけど)


彼らを楽しく探してみてほしい。
そして知ってほしいことがたくさんある。

11.06.2012

11月6日 エン・スワ

本日朝、出勤のとき。

雨期の半ばの束の間の朝日を浴びてキラキラと輝く路面。

 光っているの全部、虫の翅。



持ち主の正体はこちら。
シロアリの王様&女王様。
ルガンダ語で「エン・スワ」
雨期の狭間のある夜、大量発生し、交尾の為にぶわっと飛び立つ。
で、移動したらどうやら翅は落ちる仕組みらしく。
(出会いサイトに着いたら翅はいらないってことだね)
カップルになるべく追いかけっこ中。
(たぶん、オスが後ろ=追っかけてるほう、で、メスが前)

ここは夜中も街灯がついているから、その明りに集まっちゃったんだろう。
集団見合い状態。
尋常じゃない量が落ちているので、車や人が踏んでいく。
踏まれた残骸は残骸で普通の黒いアリンコが片づけているから、とりあえず白黒のアリが道路一面にいる(シロアリも色は白くないけど・・・)。


そしてそんな「エン・スワ」を拾い集める子供ら。

ウガンダ人これ食べます。
なにしろ繁殖の為だけに生まれる王様&女王様は、見るからにぷりりとしていて栄養満点っぽい。
調理はシンプルに、フライパンで炒るだけ。
おわんいっぱいに季節の味覚。

海なし国ウガンダでは、虫は特にかつては貴重なタンパク源だったことだろう。

でも、食料が安定供給されているこのご時世、
今も食べるってことは、「珍味」なのか?



もちろんこんな栄養価の高い虫を動物もほおっておくわけはない。

でこっぱちとがっしりとした太ももが素敵なサイチョウ。
(これは必要以上にデコが立派だから多分オス)
普段は樹上にいるのに、今日は地べたで朝食にエン・スワを堪能中。
なにしろ、動きまわらなくても、シロアリが次から次へと近寄って来るもんだから、ただ立ち止まってひたすらそれをつまみ続けることができる。
シロアリわんこそば状態。

こちらも実にうまそうに食べる。
食べすぎで飛べなくなるまで食べ続けていそうな勢い。


で、問題は自分も味見にトライするかどうするか。



・・・明日もまだエン・スワがウロウロしていたら、その時考えようかな。

10.31.2012

10月30日 Big Cubs


さかのぼること数か月前

メタボな体型に磨きがかかってきた♀ライオン2頭を前に、
「・・・彼女たちは(お腹が)大きくなっている気がするんだけど、妊娠?」
と隣にいたニコラスに問うたところ、
「いや、ただ太ってるだけ。念のためテストしたけど反応もないし。」
とのコメントが返ってきた。

このとき、腹だけでなく乳も張っているような気がしたものだが、
まあ飼育員が違うと言うし。

それに大体、
唯一の雄ライオンであるチボンゲはもう「相当なムゼイ」(=超じいさん)なので繁殖は絶望的。



と、誰もが思っていた。


***
ところが

先月中旬、1週間ほど不在にして、職場に戻ってきたところ。

「う~ま~れ~た~!」

しかも1週間ちがいで2頭が立て続けに出産。
・・・ほれみろ。入ってたじゃないか。

「テストは陰性だったんだよ~!なんでだ~!」
って言われてもなあ。
とりあえず、この手のことに関しては
女性の生物としての勘は以外と侮れないもんだな。
(けっこー当たる。)


以後、記録のため数日おきに「大きな仔ネコ」の写真撮影を続けている。


・・・「絵」があるのにこのネタを今まで封じていたのは、
マスコミやおエライさんの「見せろ攻撃」からライオンを守るため職場全体に緘口令が敷かれており、守秘義務があったから。

だけではなくて

産まれたばかりの「仔ネコ」というのは正直あまりめんこくない公開するには微妙な顔立ちだったので控えていた。

***
で、取材も受けはじめたのでぼちぼち解禁モード。

今日は10日ぶりに記録撮影。

若いほうの雌、Zaraは、オスを一頭出産。
でも、若くて子育ての経験がないのと、出張中に産んじゃったせいか、当初からストレスをためている様子だった。
自分の体で押しつぶしそうになるなど、仔ネコの扱いが非常にぞんざい。
素人目にも
「育児ストレスをかかえた若いお母さん」
そのもの。

案の定、
ある日とうとう仔を噛んでしまい。
こりゃダメだってことで、人工保育に切り替えた。


今は1日3回、飼育員の手でミルクをあげている。
これで人懐こくなってしまうのは当然の結果。

わたくしも撮影のためにケージに入ったところ、
えらいことまとわりつかれる。
ライオンだとわかっちゃいるけど、めんこい。
めんこいけど私のズボンは爪とぎじゃないからね。こら。
(ハゲているところが噛まれたところ)

一方、マダムBizaは3度目の出産ということもあり、自分で2頭の娘をしっかりケア。
出産前はそんなこともなかったのに、
ケージの前を通りかかる飼育員にさえいちいち威嚇。
ちゃんと、仔ネコを守ろうとしている。

でも掃除の時は、声をかけると子供を置いて隣のケージに移動する。
その時が接近撮影のチャンス。

ちゃんと母にしつけられているからライオンの自覚あり。
なれなれしく寄ってこない。

いっちょまえに威嚇もしてくる。
生後1か月ほどだけど、もう立派な歯がある。

・・・でも君たちコムスメの威嚇よりも
隣のケージから注がれているおかあちゃんの「うちの娘になんかしたらただじゃおかない」オーラのほうがハンパなく怖い。

そんな中

「コレがやりたかったんだ~!」
念願の仔ライオンとツーショットが撮れてご満悦のカヨンド。
撮影している私の左手側から殺気の一歩手前の空気が立ち上っている。

Bizaの仔たちは体重4kgほど。1週間の前後があるにせよ、人工飼育のZaraの仔は3kg弱。
元気だけどなかなか体重が増えてこないとか。
飼育員にとっても仔ライオンをひとつき以上育てるのは初めての経験だから、母親への対応も含め試行錯誤で頑張っている。
「仔ネコ」3匹とも元気に育ってほしい。

ちなみに
出産を終えたしたはずのマダムBizaは
依然としてメタボ体型のまま。
・・・これは飼育員が間違うのも無理はない。
(Zaraはちゃんとお腹ひっこみました)

10.26.2012

10月21日 Nyero Rockの壁画

Mbaleから2時間ほど北上したところにある小さな町、Kumiへ。

ここに今回の旅のメイン「Nyero Rock Paint」がある。

アフリカといえば人類発祥の地でGreat Journey でと、人類学や考古学的にも興味深い(もちろん詳しくはないけど・・・)い土地。
高校の世界史の図説解説に載っていた「ラスコーの壁画」などにときめいた身としては、「ウガンダ古代の壁画」などと聞けば行くしかないでしょう。

ここの壁画の図案がウガンダナショナルミュージアムのシンボルに使われていたり、
1000シル札にプリントされていたり、とウガンダ的にはそれなりに有名。
が、そんなに大量に観光客が来るような場所でもない。
それがまたいい。

 Kumi在住の隊員がガイドさんの手配などをしてくれた。
(その辺に住んでいる農家のおっちゃんとかが兼業)
ガイドさんに従って3つのサイトに分かれている壁画を順番に見ていく。

第一のサイト
太陽やクロコダイル、はしご、などが描かれている。
ガイドさんの頭上左側の円は太陽で
指さしている長いミトコンドリアみたいのがクロコダイル、とか。

・・・絵柄的には、よく言うと抽象画。
ラスコーとは路線が違う、ということにしておこうか。うん。

ガイドさんのお話と解説版を私の足りない英語力で大ざっぱに解釈したところによると。
壁画は1000から3000年前にこの辺にいたトゥワ族が描いた、
と言い伝えられている。
単純な自然崇拝が主であった当時、太陽は神様。クロコダイルは命を奪う畏怖の対象。
はしごは木の実を取る時の必需品。

ペイントはラテックスなどの成分を含む粘性の高い植物の樹液を使って描かれている。
それにしてもよく1000年の時を経て残ったものだ。

この壁画を見つけたのは、数百年前に
エチオピアからウガンダ北東部のカラモジャ地方を経由してこの地に入ってきたテソ族の祖先。
テソ族の祖先がここに定住することを決めた一方で、ここに留まらず更に先へ進みケニア方面へ移動していった人々もいる。
テソ族は現在もこの辺りの主要な部族だ。
もちろんガイドのおっちゃんもテソの人。
テソ(Teso)とはgrave=墓=死んだ人、という意味。
ここに留まったことによって、先へ移動した人々からは「死んじゃった」とみなされたらしい。

「でも俺たち今もちゃんと生きてるけどね」


お次、第二のサイト

大きな石壁一面に太陽や船が描かれている。
こちらの絵はみんな赤い。樹液に動物の血を混ぜたらしい。

カヌーと太陽。
「上手な魚の獲り方」の解説図。
湿地の多いこの辺りでは漁業も主な生活手段だったのだろう。

こちらはペタペタと指の跡が。
数のカウント方法を示してある、とか。

ここまで見た感想。
・・・壁画=アート、というよりも、
とりあえず溢れる生活感。

旅や狩猟への祈りや願いが込められている、と「遺跡らしい」説明を受けたが、
この書きっぷりは黒板のようにも見える。
案外必要な情報伝達(説明)のための走り描きのようなものだったんじゃないか、とも思えてくる。
(でも結局、半分以上消えちゃってるからわかんないんだけど・・・)


Nyero Rock外観
Kumiやその北のSoroty周辺にはこんな感じの巨岩の丘がたくさんある。

壁画があってもなくても、巨岩の山は地元の子供たちにとっては遊び場。
外国人が珍しいから、もれなく子供が大声で呼びかけてくる(さて写真のどこにいるでしょう?)。

狩猟採集時代、これらの巨岩やここにあったであろう森の巨木の洞が住居として使われていたと考えられている。
樹液で描かれたから今は風化してしまっただけで、もしかしたら壁画は当時はもっとたくさんあったのかもしれない。
そう考えると、ちょっと楽しい。


で、最後の第3サイトは別の岩にある。
ここのペイントちょっと趣が異なっていた。

大人が四つん這いにならないと入れないようなせまい空間。
そこの天井にたったひとつだけ、文様が描かれていた。


彼らにとって神様であった太陽と月との両方がこの文様にデザインされている、とのこと。
それと説明を聞くまでもなく、祈りの場とその対象であったことを思わせる何かがあった。

現代を生きる我々の感覚でもそう感じるのだから
これを描いたトゥワ人の祖先だけでなく、
見つけたテソ人の祖先も、ここで同じように何かを祈ったかもしれない。


描かれた当時の意図を正確に知る術はないけれども、
当時の人が情報であれ祈りであれ、真剣に何かを伝えようとした感覚を、
壁画は今に伝えるべくして残っているように思えた。



・・・外国人が珍しいからもれなく子供がついてくる。
彼らも遠い昔の人々が描いた絵から何を感じているんだろうか?